サンアントニオ・ミッションズ国立歴史公園へようこそ。当園敷地内には、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大 陸植民地時代のスペインの影響力の証となる、4 つの独立した伝道所があります。 スペイン帝国のテキサスへの拡張は、植民地支配の痕跡を色濃く残しました。中東文化に触発されたスペインの建 築と芸術が、地元の豊かな伝統芸術、周辺の土地、サンアントニオの人々の文化的 アイデンティティと融合し、これらの伝道所に今も生き続けています。
サンアントニオ伝道所は、スペイン帝国が急速に拡大した18 世紀の初めにフランシスコ会修道士に よって設立されました。 スペイン政府から派遣された修道士たちは、先住民をカトリック教に改宗 させ、スペイン語で生活や仕事をこなせる市民へと教育、訓練しました。 スペインは、新世界での 地位を強化し、フランス勢力が、ルイジアナ州から西方のテキサス州へ進出してくることを防ぐた めに、これらの伝道所を設立したのです。
NPS Image 先住民サンアントニオ・ミッションズに加わった人々は、この地域で何千年も住んでいた様々な狩猟採集 集団の出身でした。 それぞれ独自の方言、宗教的慣習、文化がありましたが、彼らには共通の特徴 がありました。テキサス州南部からメキシコ北東部に広がる地域で、季節ごとに食料を求めて移動 していました。 彼らは狩猟をし植物を採取し、かごを編み、陶器を作り、他の先住民集団と取引も 行いました。16 00 年代には、他の先住民族の一部、アパッチとコマンチが彼らの勢力圏に侵入し始 め、資源をめぐる争いが激化しました。さらに不幸なことに、ヨーロッパから持ち込まれた病気の 蔓延に伴い、人口が減少しました。そのような過酷な状況にあった彼らは、労働および改宗と引き 換えに、伝道所で無料の住居と食事を与えられました。しかし残念なことに、伝道所の壁をもって してもヨーロッパ由来の病気を防ぐことはできず、その後、伝道所内の死亡率は70 %にも達するこ とがありました。 そのため、伝道所に十分な人口を確保するために、 常に多くの先住民を集めました。 NPS Image 伝道所でのフランシスコ会修道士たちは、先住民にカトリックの教義とスペイン語を教え、また商人や兵士の 助けを借りて、石工、大工、織工、鉄工などの仕事を教えました。それにより、先住民は伝道所内だけでなく、町にも必要な物品を供給できるようになりました。この生活の変化は、彼らに過酷な 肉体的、精神的、そして宗教的作業を課すこととなりました。厳格な伝道所での生活は、自然のリ ズムで生活することに慣れていた先住民にとって、大きな変化をもたらしました。伝道所の外でも 、先住民は農民やバケロス(カウボーイ、一般的に 10 代の先住民の男の子)になる術を学びました 。 アメリカのカウボーイが、 19 世紀から20 世紀、そして今日に至るまで用いている、先端に大き な輪を作った長いロープで馬上より家畜を捕まえる投げ縄は「ラッソ」と言い、当時のバケロスに よって編み出されました。この投げ縄を意味する「ラッソ」や「ラリアット」など多くの単語は、 スペイン語の「牧場」を意味する言葉が語源となっています。 ![]() NPS Image Mission Concepción1755 年に献堂されたコンセプシオン伝道所の教会は、 2 世紀以上経った今も当時と変わらぬたたず まいです。アメリカでは、 当時の姿のまま現存する石造りでは最古のもので、 風格のある教会です。 中東の文化に触発された、 カラフルな幾何学模様のフレスコ画で表面が装飾されています。フレスコ画の多くは色あせたり、すり減っていますが、一部は今でも当時の姿を残しています。 NPS Image Mission San José1777 年ここを訪れた修道士がこのサンホセ伝道所について次のように記述しています。「ここは、このアメリカの地で最高の伝道所だ …美しさ、設計、強度 …どの観点からもここに引けを取らない要塞は、この長い前線のどこにもない。」アメリカ国内のスペイン伝道所では今日に残る当時の精巧な石造物の彫刻がいくつか発見されています。このサンホセ伝道所は、教会の屋根とドーム、外壁など、多くの箇所が 1930 年代に復元されていますが、ここで目を凝らすとファサードと呼ばれる正面に、手つかずのまま残っている貴重な彫刻を見ることができます。 NPS Image Mission San Juan
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Last updated: July 12, 2024